入院中の妄想など・・・
何もしないでいると、いや~妄想も膨らみますね。 まぁ、僕の病状だと直近の3ヶ月前後くらいですかね。 それ以前の状態だと、考えることや新たなものを考えるとか、う~ん、応用が利かない状態だった訳ですね。 にしても信じられませんよねぇ。 自分の欲求に頭がついてこないなんてね。信じられないことでしたよ。(^^; ありえない・・・と思いつつも考えられない・・・う~んどうしようもない・・・ な~んて考えたものが、車関係のグッズやらパソコン・通信関係・・音楽・・携帯電話など・・ やっぱり、自分の気になるものから考えてしまいますよね。 まず最初のターゲット! それは携帯電話でした。 すでに、2年近く使っていたDoCoMoの携帯。 入院中に携帯なんて使いもしないんですけど(まぁ、病室からこっそりとメールするくらい)なにか身近なもので自分を変えたいというか、使わないけどいつも側にある携帯電話を新しくしたいとか・・・・ そんな思いが強くなってきてしまいました。 で、そのときに携帯電話に求めて物は、今より軽い・薄いこと!。ワンセグは要らない。通信のスピードは速いこと!。画面が大きく見やすいこと。 海外でも、使えること(僕の場合台湾で使えれば良いかなぁなんて思ってました) 買った時期は11月でした。DoCoMoの905シリーズの発表前。 ちょうど、端末料金がこれからどうなっていくか・・なんて話で買い控えをされていた方々も多かった時期かもしれません。 でも、こっそりと病院から外出したときに、買ってしまいました。\(^o^)/ なにを買ったかって?! N904iを買ってしまいましたよ。 DoCoMoショップで価格や、実機を触ったりしてたんですが、値段的にう~んの状態でした。 まぁ、次の905シリーズを待っても良いかなぁなんて、思いながら駅前を歩いてました。 (歩くのもリハビリですからね。必要以上は無理なんですけど・・・・) そのとき、ふと立ち寄った携帯の安売りの店。 思った金額以下だし、FOMAですぐに買い増し可能! 1秒も考えずに、「これください!」って言ってました。 いや、かなり良いですよ。カメラの機能もオートフォーカスがあったり、通信速度もめちゃ速いですしね。 まぁ、905シリーズではみんな通信速度はみな速いようですけど、ナビにつないで通信しても早いし、なにをしても付加価値が上がった気分になれますよ。 そんなこんなで、N904をゲットしてしまいました。 いや~~、快適ですよ。 ついつい通信速度が速いんでiモードにはまったりすると、パケ代が嵩んでしまうのがたまに傷かな。 着歌や、着歌フルは要注意! 着歌程度ならOKなんですけど、着歌フルなんかだと料金プランを考えないととんでもないことになります。 病室に居てモバイルの環境が欲しくて堪らなくなりました。 僕の場合だと、携帯端末だけのパケホーダイやパケホーダイフルより、パソコンを使っての通信で安いキャリアを探してたりしました。 そうすると、DoCoMoって高いんですよね。 で、その次に考えたのがウィルコムの端末・・・ それでもパソコン接続だとそれなりの金額になってしまいます。 なおかつ、通信スピードもそれなり・・・・ 今の環境だと、料金を考えなければDoCoMoの3.6Mって凄くよい選択でした。 なおかつ、N904でも対応してますしね。 でも、僕の使用状況で考えると月の使用量は軽く1万円を超えます。 プランによっては、月に10万円以上なんて当たり前のように、請求されてしまいます。 そこまで、ドコモに貢献しなくても良いかなぁと思いつつ・・・ 新しい端末も視野にいれて考えていくと・・・・ ウィルコムやイーモバイルなんかがとても良いところで見えてくるんですよね。 見えてくるってことで、まだ契約すらしていないです。 ランニングコストの試算や、使用状況を見ていると EM・ONEかデータ通信カード(特に7.2Mの)が大有力候補身に なってくるんですけど、まだ判子は押してません。 なぜって?? だって、今の生活パターンって自宅療養でモバイルを必要としていないんですよ。 家では無線ルータ接続ですし、車での接続は最低限だからどんな接続でもOKですし。 まさにDoCoMoの速い3.6m/bpsで繋がればストレスなしでどこでも問題なく繋がります。 それでも新しい端末って良いですよね。 欲しい端末も増えるばかりです(^^ゞ まだまだ欲しいものが増えてますね。 今回はN904iゲットの顛末です。 次回は、レーダ探知機ゲットの顛末でも書いていきますね。 それでは! #
by toshiishii
| 2007-12-08 23:30
| 雑記
それにしても、1年って長いですよね。
でも、僕自身は長いと感じられなかった1年だったわけで・・ 精一杯生きてきたつもりであっても、決してまわりの普通の人たちの考えるスピードや、普通に生きていくスピードと僕の感覚がずれてしまった入院生活。 自分の中では、なんとか生きていて良くなろうと思う気持ちはずっとあったんですが、いかんせん普通の人と考えることと違っていたり、考えるスピードが遅すぎたりしてました。 今、当時を思うと・・ テレビは見ていても疲れる。ベットの上に座っていても1時間も居られない。30分が良いところ。 話しをしていても、1時間以上は疲れるし、考えられなくなる。 じゃ、一人でベットに横になっているときはどうかというと・・ う~ん、なにをしていたか覚えていません。 これからどうする。とか、なんでこんなになってしまったか。とか、体の痛みに堪えていたりとか・・ 一日の半分以上は、たぶん寝ていたんでしょうけど、そのときの心情は明確には覚えていないんです。 いや、覚えていないことが僕にとっては今思えば幸せなことだったんでしょうね。 (ある意味、辛い時でもあったんですけど考えられないことが結果的にプラスに働いていました) 当時、僕の体はボロボロで呼吸器不全や、多臓器疾患を患っていました。 なおかつ、腸閉塞(神経性と言われ、手のほどこし様が無いといわれてました)を発病していて、お腹の激痛と日々戦っていました。 物は食べれないですし、気持ちは悪くなるし・・・ 最悪な状態でした。 いや~、こんなに激痛を伴う病気が有るなんて夢にも思いませんでしたよ。 後で知った話ですが、小腸も閉塞ばかりか癒着までおこしており、この病気だけでも命に係わる危ない状況だったそうです。 腸が閉塞して破裂寸前の危ない状況のとき、自分の小腸くんはお隣と仲良しになり、穴を開けてもらって(癒着&貫通)腸液をお隣と共有してたらしいです。 我ながら、我が小腸さんたちの仲の良さが僕の命を救ってもらったことに、大感謝しております。 (このとき内臓破裂していたら当然、今の自分は無いでしょう) そもそも、最初に担ぎこまれて心肺停止状態から奇跡的に助けてもらった病院では、この状態の小腸は手の付けようがない状態だそうで、お手上げ状態だったそうです。(この病院にこなければ、今の僕は無かったんですけど・・) DOCTORからは、何度も僕に対しても病状の告知があり(家族にも同様です)今の状況(寝たきりだし、食事は採れずに点滴のみ)から脱却するのは、きわめて低い可能性でしかないこと・・・・を伝えられました。 確かに当時、僕が生きていたのが奇跡的な状況でした。(心肺停止から蘇生できたことが奇跡でした) 幻覚・幻聴(多少ではなくかなりでしたけど)など脳に異常があるように見えていましたが、心臓が停まった時間を考えると 信じられない回復力で復活の道を歩んでいました。 このままの状態で一生を終わるんだろうか? 今、どん底から這い上がってきた自分がここに居る。 少しの確率でも、治る見込みがあれば、どんなことでもやってみよう! という気持ちが家族を含めた僕の中で大きくなってきていましたよ。 今より、良くなる可能性があれば、それに掛けてみよう。たとえそれが結果的に今より悪くなっても、良いじゃないですか。 今より悪くなることは、そりゃ良くないことですが、その時の自分はどん底の状態だったわけですから、良くなる可能性があればなんにでもやってみようという気持ちが、大きく働いていました。それが、たとえ成功率が低くても。 それから、東京近郊の大学病院やら色々と家族にアクセスしてもらったんですが・・・・ 「寝たきりの状態の患者であるし、治療が長期に渡ることが考えられるため、受入はできない」・・・ どこの病院でも大多数は上記の回答しか得られることができませんでした。 そもそも、倒れたのが単身赴任先の愛知県の病院で一命を取り留めて頂きました。 それもあって、東海地区の大学病院も色々と当たってもらいました。 ここでも、人生の大きなめぐり合いがあったようです。 僕の、病状を勘案したうえで条件付ではありましたが受け入れてもらえる病院がありました。 その条件とは検査して、治る見込みが無い場合は元の病院に戻します。その期間は3週間を見込みます。 いや、3週間の条件付でも良いじゃないですか! このままで、僕の一生を終わらせてしまって良いものか?・・ すこしでも、治る可能性が有るならばそれに賭けてみよう。との気持ちが家族共々同じ気持ちで居ました。 そうと決まったら、転院の準備です。 倒れたのが、去年の12月10日・・・ 死の淵から戻ってきましたが、呼吸器や心臓、臓器の治療のために半年(6ヶ月)も掛かってしまいました。 まだまだ、治療は必要ですがその中で一番大きな病気、腸閉塞を治すことができれば僕の残りの人生も人並みに近づけることができる。このままでは、残りの人生が1年以内といわれてもおかしくない状態でしたから。 今、考えると僕の中でも一番辛い時期だったんだと思います。 医者に泣きながら今の状態を訴え、なにか治療して先に進む方法は無いものか何度となく訴えていました。 寝たきりの状態が長かったですから、リハビリも大変でしたよ。 人間の体って、ホント動かさないとあっという間に使えなくなってしまいます。 ベットの上で、手足を動かしてもらったり、ベットサイドに立ってみたり、病室内を歩行器で歩いたり。 でも、ほんの少し動くだけで心拍数が異常なほど上がってしまい、リハビリも間々ならない状態でした。 そう、心臓もだいぶ弱ってしまったんですね。 多量な点滴をするために、カテーテルを使ったりしてたんですが感染症の可能性も有り体内に点滴用のポートを埋め込む手術もしたんですけど、手術中にも心拍数が上がってしまい手術室内を警告音が響き渡っていたりさせてしまいましたよ。 でもでも、次のステップに進めるということで慣れ親しんだ6ヶ月の入院生活を送った病院から、大学病院に転院いたしました。 病院の救急車に乗ってDOCTORと看護師が付いての移動でしたけどね。 またまた、長くなってしまいましたね。 いや、思い出しながら書いてると途中で指が停まってしまったりして時間も掛かってたりもしてるんですよ。 車の話、衝動買いの話、名古屋の話・・・ 色々と有りましたので、暇見て書いていきます。 次回は、転院後の大手術までのはなしなど書けていければよいなぁ。なんて思っています。 長文、お付き合いありがとうございます。m(__)m それでは!(^^) #
by toshiishii
| 2007-12-08 00:00
| 雑記
復活なんて、まだまだと~んでも無い状態ではありますが、ここまで仮復活した話など・・
救急車で病院に運び込まれて心肺停止状態になってしまった自分。 当然、記憶なんてほとんど無い状態なんですが複数回の電気ショック後、 (すでに、この段階で医者から「あきらめてくれ」の話が何回と無くあったそうです) 「わかるのー 誰だかわかるー」なんて言葉が遠く聞こえてきました。 精一杯、うなずいたりしたつもりでしたが、それ以降の記憶は一切途切れてしまいました。 聞くところによると、その後意識が戻るまで一週間弱・・・ 呼吸器から内臓まで全てダメージを受けてしまい、人工呼吸器を付けてなんとか生きていたようです。 そのころの記憶は、ほとんど残っていません。 集中治療室で1ヶ月間にもおよぶ闘病生活を送っていたようです。 意識がもどれば、人工呼吸器を自分で取ろうとして(よっぽど嫌だったんでしょう)実際に取ってしまったようです。 そんなことしたら死んでしまいますよね。(自殺行為でした。でも24時間監視されてましたから大丈夫でした) ところで、ICU症候群なんて言葉はご存知ですか? 医療機器の「ピコン、ピコン、ピコン~~、ぴ~~~~」って音や、ポンプ・点滴・人工呼吸器の音・・・、他の患者さんの気配や、呻き声・・・ ドクターや看護師さんの方々の声、治療の音。 24時間ひっきりなしに、聞こえていたようです。 そんな中に居ると普通の人でも1週間も居れば精神的に異常をきたしてしまうそうです。 僕も、ご多聞に漏れずにおかしくなってしまいました。 幻想、幻聴。 夢と現実がゴッチャになってしまいました。 でも、自分の中では全てが現実なんですよね。 この症状は比較的すぐには良くなったように思いました(自分の中では)が、実際には半年以上も色々な症状がでていました。 例えば、一般病棟に移ってからも、座敷わらしがでてきたり見えもしない黄色い鳥の大群が病室の窓の外を飛んでいたり・・・ それ以外にも、ベットの上に居ながら仕事をしていたらしいです(ホテルの予約は?! 新幹線は?! 飛行機は?! なんて、真面目な顔して話してました) この辺の話で看護師さんから興味深い話を聞いたりもしました。 その辺の話は、別の機会にでも書き込みますね。 そんなこんなで、やっとの思いで一般病棟に移ることができました。(気管切開もしましたが) このときすでに呼吸器系の障害、ほとんどの内臓系への障害(多臓器不全)、脳神経への障害、この先、なにが起きてもおかしくない状態だったそうです。 僕自身では、食事ができなかったこと(できないというよりは、食べれないと言った方が正しいかな) 深く考えたり、自分自身の状況を把握したり(自分の今の状況を認識するのが怖かったです)理解することができなかったようです。 でも単純な生活の中でも徐々に(少しずつ少しずつですが)自分自身を取り戻していくことができました。 書き始めたら、長くなってしまいました。(^^ゞ パート2以降は、また今度にでも! あれ?! 入院中に発注したレーダー探知機の話などが無くなってしまいました。 これも次回以降ですね。(^_^;) それでは! #
by toshiishii
| 2007-12-05 23:00
| 雑記
さて、長期に渡る(ほぼ1年の病院での生活)入院でしたが、ホントというか意外と暇を持て余した感じは有りませんでした。
ただ単に、朝起きて漠然と1日が流れ、就寝時間に・・・ 食事ができるわけでもなく(点滴で1日に3リッター以上補給してました)、それでも食べる欲求とか自分から何かをやりたいとか考えることすらできない状態が、漠然と続いていました。 そんな、状態だったからこそ、喋れなかったり(気管切開してました)、寝たきりの状態でも 堪えられたのかもしれません。 今となっては、信じられない状態だったわけですけどね。 でも、今この自分がいる・・・・ 入院生活なんて、どんな状態だって耐えれると思える自分がここにあります。 限られた世界の中、目一杯に生きれた自分がここに居る。 それだけでも良いじゃないですか! こう感じることができるのは、自分だけの力じゃ無理だったんだと思います。 僕の側にいるパートナーの力・・・ 知人、友人の自分を支えてくれる力・・・ 自分の趣味である車が、僕の運転を待っていてくれる(Pを運転しなくて死んでいけるか!って思う力)こと・・・ すべてが、僕自信の闘病にプラスにはたらきました。 とにかく、もとの自分に戻ること。 それが、僕の目標でした。 去年の12月からの入院生活・・・ 入院半年後の大手術・・・ 普通の生活に戻るためのリハビリ・・・ どれも困難なものでした。 でも、僕には大きな目標がありました。 もとの体に戻ること。大好きな車に乗ること。 頑張れましたよ。 知人、友人の力も絶大でした。 自分の力も当然必要だったでしょう。でもそれを支えてくれた人たちに大感謝です。 今の自分は、自分の力だけではありえない。 手術までの話や手術後の話しなどはまた書き込みますね。 入院生活中、たま~にネット接続ができたりすると、物欲もでてくるものですね。(^^ゞ そ~んな話しも次回以降にでも! (いや~、入院のベットの上から買えるなんて良い時代になったものだって感じますよ) それでは! #
by toshiishii
| 2007-12-04 22:00
| 雑記
退院しました。
先週末、無事退院の運びとなりました。 と言っても、完全復活まではまだ時間がかかる見込みです。 まずは、退院して自宅療養の形をとり、徐々に体を慣らして行くことになります。 退院直後は、バタバタしてて落ち着く間も無かったんですけど、やっと時間が 取れるようになってきました。 足掛け1年・・・・ 長かった・・・・・・・・・・・・・(~_~;) 初めての入院が、こんなに長期に渡るとは思いもよりませんでしたよ。 まさか、自分が生死の世界を彷徨うようなことになるなんて想像すらできませんでした。 意識が戻ってきてからも、記憶は一部飛んでるし、自分で考えることすらできない状態も しばらく続いていました。(考えるけど浅くしか考えられないとか、そんな感じでした) まぁ、心肺停止が尋常な時間で無かったこと。それでも脳や、体への影響が最小限に留まったこと。 今の、自分があることがとても幸せに感じています。 でも、良かった(^^) こちらの世界に戻って来れました。 まだ体と頭で考えることがアンバランスなこと。体力と運動能力が著しく低下しているので 日々の自主トレーニングで普通の生活ができるように鍛錬してまいります。 皆様、倒れたとき並びに入院中の励ましの言葉・お見舞い、本当にありがとうございました。 人の繋がりの大事さが身にしみました。 徐々に復活を遂げていきますよ! もう、車の運転はOKになりました。\(^o^)/(DOCTOR公認ですよ) 1年間のブランクを埋めると言うよりも、これからを楽しく充実した時間にしていきたいと思っています。 まずは、仮復活のご報告です。 今後ともよろしくお願いいたします。m(__)m #
by toshiishii
| 2007-12-03 21:00
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